Case #65 - 屈折した親子のつながり


キャシーの母親はかなり情緒不安定だった。子供の頃、彼女の母親はいつも子供達を非難し、子供達に対して攻撃的で、何かあるごとにキャシーと兄弟達のせいにしていた。彼女は子供達の心を傷つけ、また子供達が母の愛を必要としている時にもそれを与えることができなかった。そのような情緒不安定でいつも怒りに満ちた母と暮らすのはとてもつらかった。しかし母は時には気前がよく、優しく、子供達の身の回りの必要を世話することもあった。 キャシーはこのような幼少期を過ごしたため、結婚生活の中でも色々な問題があった。彼女は時には愛情に満ちあふれていたが、時にはとても疑い深くなり、母親のように情緒不安定で相手を非難することもあった。彼女は自分が母親と同じようになってしまったことに恐れを感じ、それが夫を傷つけていることも知っていた。 しかし彼女はなかなかその悪循環から抜け出すことができなかった。そしてなにかのはずみで感情的になると、母親のように批判的で怒りに満ちた自分にどうしてももどってしまうのだ。しかし彼女はこのような自分が夫婦関係を破壊しているのが分かっていたので、私に助けを求めてきた。 ゲシュタルトでは問題から逃げるよりもその問題を突き止めるべく面と向かって対立していくのです。キャシーの「問題」は、自分がなりたくないものになりつつある、ということだった。問題の一部として「母親のような自分」に対して抵抗がある、というのも見られるが、彼女が自分の人格を変えることは求めていない。もし彼女を全く別の人格へ変えようとするのであれば、問題を面と向かって見つめるのではなく、ただそれに「適用して」いき、本当の解決にはならないからだ。 私がキャシーの母親の行動は嗜虐的であると指摘すると、キャシーは同意した。私は更に、キャシー自身の行動も同じような性質があるといった。これは少しきつい言い方だったが、キャシーは自分の行動がまわりにどのような影響を与えているか分かっていたので、私の言いたいことを理解してくれた。 なのでわたしは彼女に「わたしが今感じている痛みをあなたにも感じて欲しい」と言葉にするよう促した。こうすることで今までの嗜虐的な関係をあらわにすることができ、彼女自身に自分の気持ちを理解させようとした。キャシーの母親も「母と同じようになった」キャシーも、お互い非常な痛みをかかえており、二人の嗜虐的な行動は心の奥底にある痛みを表していた。 キャシーは少し躊躇したが、私が言った言葉を口にしてみた。それを言葉にすることで、自分は今まで「痛みの中に生きてきたのだ」ということを改めて感じ取った。 こうして自分自身の嗜虐性と向き合うことで、それにコントロールされるのではなく、キャシーが自分の行動をコントロールすることができるようになった。 私はもう少し難易度をあげ、今度はキャシーが感情的になっている時を過程し、そのシチュエーションの中で夫に語りかけているのを想像するように促した。彼女はさきほどと同じ言葉を繰り返した。私はキャシーに自分の感情にふりまわされず、しっかりと自分の感情を見つめ、今体の中にどのようなものを感じるかを考える様うながした。 彼女は吐き気と憎しみ、そして羞恥心と同時に快楽を感じると言った。 これらの言葉はまさに彼女が感情的になっている時の気持ちを言い表していた。こうして「嗜虐性」に真っ向から体当たりしその人の感情を引き出すことにより、ただ何が起きているかを話すのではなく、物事の中核へ到達することができる。自分の中で何が起きているか、その中心にキャシーをたたせることで、実存主義へと導くことができる。今度は彼女にゆっくりと呼吸をし、体の中心を見つけるよう促した。そして、彼女の母親が嗜虐的な笑みを浮かべているのを想像するように言った。彼女はまたもや吐き気と、緊張感と不安を感じた。そこで私は彼女に自分を強くしてくれるものを想像するように言うと、彼女はお釈迦様を思い浮かべた。お釈迦様を思い浮かべると彼女は落ち着きをとりもどした。 次に私はキャシーに母親を思い浮かべそこからでてくる感情を感じ取り、今度はお釈迦様を思い浮かべ、気持ちを落ち着ける、その一覧の動作を繰り返すよう促した。 そして心の中で思い浮かべている母親に対し「私は自分が嗜虐的である時だけあなたと心が繋がっている」と言うよう促した。 この言葉は過去と現在をひとつにする言葉で、今まで母との心のつながりを持つ事ができなかったキャシーだったが皮肉なことに嗜虐的になることにより、母とつながりを持つことができた。人はこのようにして、「自分がなりたくないもの」になってしまうのだ。 この一連の動作をすることにより、キャシーは嗜虐性のある自分の行動に責任を持ち、自分は母親とのつながりがあることを認め、同時に心の奥底にあった感情を感じ取り、自分を落ち着かせるものを思い浮かべることができ、また、母との親子関係と自分の今までの行動に新奇性を見出すことができた。 セッションの終わりには彼女はとても心が軽くなり、ある意味生き返ったようだった。私は、これからも自分が感情的になってしまう時にはいつでも今の一連の動作をするようすすめた。



 投稿者  Steve Vinay Gunther