Case #61 - 自分の性的感情を認める


リンダは33歳で独身だった。彼女は男友達はたくさんいたが、みんな「ただの友達」だった。そしてなかなか「お友達」からロマンチックな関係にはつながらなかった。 今回の彼女の目標は自分の中にある「未知なる自分」を探すことだった。わたしは彼女との共通点を探っていくために、まずはわたし自身も「未知なるもの」に興味があることを示して行った。わたしたちは、お互いのことをまだあまり知らないということを指摘し、そしてわたしが彼女について知りたいことを話した後に、彼女もわたしに何か質問をするように促した。ゲシュタルト法では、はっきりとしていない、もやもやとしていてる土台を「創造的虚空」と呼び、未だ分からない未知なるものをクライアントから引き出すためにセラピストが用いることがある。 彼女は両親に貼られた「いい子」というレッテルがいやでいやで仕方がないことを話してくれた。彼女は両親がいつもリンダが付き合う男の子たちを認めてくれなく、リンダは良く両親の目をさけてボーイフレンドたちと合うために窓から忍び出て行ったことを教えてくれた。彼女は自分の意思で考え、自分の人生を形成していきたかったが、どうしてもそれが難しかったのだと打ち明けてくれた。 これらを全部組み合わせると、リンダは自分の女性らしさというものに問題をかかえているようだった。彼女が「いい子」になろうとするがゆえに男性との関係において完全に女性らしさを出すことができなく、そのために友達以上の関係になることができなかったし、またそれ以上の関係になっても自分からまた「友達関係」にもどそうとしてしまうのだった。 わたしのチャレンジは彼女が自分の女性としての性的魅力を認めるためにどのようなことができるかということだった。わたしは他の参加者に声をかけ、自分のことをバッドガール(性悪女)だと思っている女性はいないか聞いてみた。ただひとり、マルチーナが手をあげた。わたしはリンダに「バッドガール」とはどいうものか教えてあげるようにマルチーナにいった。ゲシュタルト法ではコミュニティのサポートを利用することを大切にしており、特に自分の性に関してなどの敏感なトピックは、自分一人だけが問題をかかえているのではないこと、また自分がさらされているという思いが少しでも軽減され、ほかの人達と一体感を持ち、そのことが恥ではないということを感じることができるよう、まわりのサポートをうながしている。 マルチーナは自分にとって「バッドガール」とは「いい子」「悪い子」ということよりも、他人に決められたことではなく自分で物事を決め、自分にとっては何が良いのかということを判断することだ、と教えてくれた。 そこでわたしはリンダに焦点をもどし、彼女が今どのような気持ちでいるか聞いた。彼女はいつも自分の体に対しては敏感ではなかったので、自分が何を欲していて何を求めているのかが分からないと答えた。このことは彼女の性というものを探っていくなかで、あきらかに障害になりそうなことだった。 リンダが自分の性をみつめ自分の一部として受け入れることができるよう、わたしはあるアクティビティを試みた。このアクティビティはとても慎重に行わねばならないものだったので、わたしはリンダに自分がやりたいことだけ選び、必要だったらアクティビティを中断することも可能だと伝えた。また、このアクティビティにおけるルール(境界線)も説明した。それはグループでのみやるべきことであることと、アクティビティに参加する男性は彼女のサポート役となるためだけに参加するということ。 性に関してのカウンセリングにおいてははっきりとした境界線をはじめに引いておくことがとても大切です。 わたしはリンダにこのグループの中で一番魅力的な男性を選ぶ様にと言った。そしてお互い向き合って立つように指示した。リンダに今何を感じているかを聞くと、彼女は少し緊張しているが他には特に何も感じていないと言った。わたしはリンダに体の中のエネルギーを循環させながら呼吸をし、男性を見つめるように促した。彼女はわたしの言った通りにしたが、何回か繰り返すうちに「彼はもうそこまで魅力的に感じないわ」と言った。それは彼女は自分のうちの性的なエネルギーを抑え、いつもの通り「お友達」へと変えていたからだ。わたしはリンダにそれを指摘し、彼女が本当に未知なるものを見つける心の準備ができているかを聞いた。こう聞くことにより彼女がもともと言っていた「未知なる世界」の発見を助けることになったし、彼女のほうから言って来たことだったので、もしかすると肯定的に受け止めてくれると思ったからだ。 彼女はわたしの提案に賛成したので、彼女に呼吸を続けながら相手の男性を見、自分の身体のどの部分で快楽を感じ、またどのようにそれを感じるかを考えてみるようにと言った。はじめは特に何もなかった。しかし、少ししてから彼女は上半身にあついものを感じた。わたしは彼女を励まし続け、呼吸を続けるように促した。また少し経ってから、彼女は自分の体の中にあるあついものが上半身からお腹のあたりまで、そして腰のあたりまでエネルギーが動いていくのを感じることができた。 アクティビティで相手の役をしてくれた男性はこの体験を通して彼が気づいたことを話してくれ、私たちはその後しばらく色々と話し合った。 彼女は今までセックスの時以外は意識的にこのようなエネルギーを感じることができなかったので、この体験は彼女にとっては大きなステップだった。彼女は自分が持っているパワーやそれをどのように持ち出し、男性との関係で引き出して行くことができるのかを今まで知らなかったのだ。 心理療法で「性(セクシュアリティ)」はとてもデリケートで難解なトピックである。セラピストがしっかりとした境界線を引かないと権利乱用や虐待へとつながることもあるので気をつけないといけない。 しかしながら性の面で精神的治療が必要な人は沢山いて、他のどこでもそのような助けをうけることはできないであるから、セラピストがこのトピックを恥ずかしがって逃げてしまうのもよくない。 今回のアクティビティは沢山のサポートの中でゆっくりと、クライアントのペースで彼女にとっての「未知なるもの」を探って行くものだった。 彼女の両親との関係で「解決すべきこと」について話すこともできたが、彼女はこの新しい体験を経験する準備ができていて、過去にしばられたくなかったので、一歩踏み出すことができた。 多くの人は何かに関して自分の中の意識を遮ってしまっていることがある。「性」については特に多くの人が考えない様にしてしまうトピックのひとつである。それは時には過去のトラウマによるものでもあるが、社会的な要素や家族から無意識に伝わったことにより性的な感情を抑制してしまっている。 このような様々な理由により抑制されてしまっている性的感情を取り戻すために「なんでもあり」の性という考えを導入しようとしても逆効果になる。そのためゲシュタルトセラピーでは「性」というものがおおぴらに表現されているものでもなく、抑制されたものでもなく、私たちの人間としての存在の中で自然なものとして表現されることを目的としている。



 投稿者  Steve Vinay Gunther